最愛の母方の祖母の立派な葬式

 今日は僕の母方の祖母の葬式の時の事振り返り、思い出し、書いていきたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。

「1999年8月15日13時32分」

 かれこれ20年以上前にさかのぼりますが、この時も現在も僕は仙台市に在住しております。この時は確か僕が小学4年生の夏休みでした。

 この日はとても暑い日であり、30℃以上あったと思います。この日の昼時、家族皆で祖母が入院している病院へお見舞いへ行こうと準備をし、車に乗った時の事です。

 母親の携帯に母親の弟(僕の叔父ちゃん)から電話があり、「危篤状態に入った、すぐに来てくれ!」という事でしたので、20分以内に病院へ駆けつけました。

 駆けつけたと同時に息を引き取ったのです・・・1999年8月15日13時32分のことでした。

 ここから霊安室へ通され、すぐに遺体を家に運びました。

「葬儀や火葬、葬式の手配」

 遺体を寝室に寝かせてから、家族の者や親戚の者、近所の人たちが駆けつけけてくれて、お悔やみの言葉を頂戴したり、色々と世話をしてくれたり、手伝ってくれました。

 そして、葬儀や火葬、葬式の手配をしなくてはいけないという事で、大人たちが慌ただしく動きはじめました。

 子供の僕も何か手伝えることはないか?と思い、母親に「何か手伝うことはない?」というと、「あなたはねお葬式の時にお別れの言葉を言わなくちゃいけないのよ。だからお別れの言葉を考えてちょうだい」と言われて、お別れの言葉の作成に入りました。

 この時、鉛筆と消しゴム、原稿用紙を用意したのを何故か昨日のことのように覚えております。

「お別れの言葉の完成」

 僕は5時間かけて、お別れの言葉を完成させました。

 覚えている部分だけをこの記事に書かせていただきますが、「僕はお婆ちゃんをとても愛しているし、大好きです。その大好きなお婆ちゃんが安心して天国へ行けるように、天国で暮らせるように、至らないかもしれませんが精一杯頑張って生きていきたいと思いますので、是非見守っていてくださいね」という事を書いたと思います。

 母親に見せると、「うん!これでいいと思うわ。きっとお婆ちゃんも嬉しいと思う」という事でした。

 そうしているうちに、家に葬儀屋の人たちが来てくれていて、葬儀や火葬、葬式の日程が決まりました。

「祖母の人徳を感じた立派な葬式」

 先ず通夜が終わり、火葬をして、葬式となりました。

 お寺で葬式をしたのですが、その葬式に参列してくださった人数に子供心にびっくりしたものです。

 正直申しまして、100人近くの方が祖母の葬式に参列してくださったのです。家族や親戚は当たり前ですが、何と近所の方々や、祖母の友人の方、元同僚や元同級生、病院の先生や看護師さん、お付き合いのあった電気屋の叔父さん、大工さん、近所に住む刑事さんや警察官の方、習い事の先生や生徒さんたち、皆が祖母の死を悼んでくれたのです。

 この時に祖母の人徳と立派さを思い知りました。

 この100人の前でお別れの言葉を言うのはとても緊張しましたが、「ここはやるしかない!」と思い、腹をくくりお別れの言葉を述べました。

 途中で泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。「男なら最後まで頑張ろう!」と思い、言い切りました。

 葬式が終わった時に、大人たちに褒められました。

 「頑張ったね!」「よく泣かずに頑張ったね」「偉い!」「君は強い子だ」「さすが●子さんの孫だよ」等と言われました。

 こうして祖母の立派な葬式と、お別れの言葉を通して人間として1歩、成長できたと感じた祖母の葬式でした。

葬儀社選びなら葬儀社おすすめランキング

お墓参り

小さい頃からお墓参りには毎年行っていて、いわゆる家族行事の一つだった。
最近、周りでお墓参りに行くって話をあまり聞かないけれど、我が家は未だに年に1回は各実家のお墓へお参りするようになった。

結婚したので、お墓参りが2か所増えたけれど(笑)
それでも、旦那さんのご先祖様が眠るお墓はやはり大事だし。

お墓って、ほんとにたくさんのご先祖様が眠ってらっしゃるので、自分の先祖はもちろん、旦那さんのご先祖様のお話を聞いたりすると、
どんな家だったのかとか、どんな歴史をたどって今に至るのか・・・とかいろいろお墓からわかることもあるんですね。

自分のご先祖様なんて、ほんとに家系図のようなもんですからね。
大した家系図ではないけれど、自分が知らない時代の話なども知れておもしろいですね。

なんとなくですが、お墓参りに行くととっても心がすがすがしい思いがします。
最近は自分がよく知っているおじいちゃん、おばあちゃんもそのお墓へ入ってしまい、いろいろと人生の転機には報告を兼ねてお墓参りに行くようにしています。